自由が丘(田園調布・都立大学)で整体なら青井筋整体院。当院は自由が丘駅徒歩3分にある整体専門院です。

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このような症状を訴えられる方が多く来院されます。

腰痛・肩こり・膝痛・頭痛・生理痛・不妊症・自立神経失調・耳鳴り・ぎっくり腰・ヘルニア・坐骨神経痛・分離症・狭窄症・手足のしびれ・変形性股関節症(股関節痛)・側弯症・背骨のゆがみ・ゆがみ・四十肩・五十肩・頸肩腕症候群・テニス肘(上腕骨外側上顆炎)・背部痛・代謝障害・骨盤矯正・スポーツ障害・インナーマッスルのトラブル・猫背・美容矯正(O脚)・リンパの問題・外反母趾・こむら返り・捻挫、打撲による後遺症など
 

体験記セミナーについて

【身体に関する実演と実習、そして講義】
「セミナーを受けての感想」

最高に楽しい3時間!

<やってみてわかる>
西洋医学は、目に見える分析が基本。
東洋医学は、目に見えない科学。
そのため、やってみないと説明が難しい。
今日は、実際に体験することで、「なるほど、そうか。」と思うことが本当にたくさんあった。

<対処と根本>
ありがちな「足首の捻挫」を甘く見ていました。
子供の頃の小さな(と思っていた)怪我が大きく、その根本を見出し、処置する必要があることは学校現場にも同じことが言えると感じた。

<知識を得る楽しさ>
この時間がもっと続いてくれたらと思うような楽しい時間でした。子供たちにも、これくらい好奇心をかき立てる授業をしてあげたいと感じました。
青井先生、本当にありがとうございました。
                                           飛田給小学校 T先生


青井先生のお話を伺い、改めて姿勢が人に与える良い面、悪い面について学ばせていただきました。
千代田区の小学校に勤めていた時に、体感トレーニングの講師をお招きして、姿勢が脳や内臓に影響を与えることを学びました。今日のお話は改めて、子供たちに姿勢の大切さを、理由も含めて伝えていきたいと思い、身になるお話でした。
また、共鳴して何かを行うことでパフォーマンスが上がるというのもとても興味深く、「自分の痛みへの集中から、意識を逸らしている」という考え方が、授業やその他の教育活動にも生かせると思いました。
子供がいけないことをしていたら叱りますが、気を付けていても、叱ることにどうしも意識が向きがちです。よい子をしっかりとほめて、意識を良い方に向けさせていくことで、ミラーリング効果が表れて、少しずつ共鳴できる子が増えて、全体がよくなっていく。
そんな良い流れを私も生み出していければと思いました。
自分のやり方が正しいのかどうか、悩むことも多々ありますが、「子供たちのために」という思いは持ち続けて、これからもがんばっていきます。
ありがとうございました。
                                  江東区立第三砂町小学校 N.Y先生


普段接する機会の無いと思っていた東洋医学は、お話を聞いてみると、実はすごく身近なものでした。私は学生時代に演劇部に所属しており、そこで「気」のようなものに触れていたように思います。まず演劇は声を発する際に姿勢を正します。正しい姿勢になると自然を声も出て、よりかっこよく、よりきれいに見せることができます。青井先生のお話を伺って、どうして正しい姿勢だとそのようなことが出来るのか、という事が分かった気がしました。
姿勢が悪い児童は集中力が続きません。集中力が続かないということは勉強も身が入らず、結果として力がつかないのです。私自身、正しい姿勢を心がけて指導に力を入れたいと思いました。
また、青井先生は捻挫から身体のバランスが崩れてしまうというお話をしてくださいました。腰は肉付きに要と書きます。しかし、その腰自体を支える足が大切で、捻挫により骨のずれが身体に影響を及ぼすということでした。私はこの話を根本的な原因を探ることが重要であるという話として受け取りました。例えば、授業中に騒ぐ児童がいる。その児童に注意をし、その場を収める。確かにそれは必要なことです。しかし、それだけで満足していてはまたその児童は騒ぐでしょう。つまり根本的な解決ではないのです。どこに問題があるのか、何が原因か、その児童を取り巻く環境から内面にいたるまで全てを検証し、問題を探ることが出来るかどうかという話だと感じました。
目からうろこの話がたくさん聞け、また、自分の生活にも生かせる話もあり、そういった面でもとても楽しい時間でした。今回は本当にありがとうございました。
                                      多摩川小学校講師 N.S先生


青井先生が最初におっしゃっていたように「やってわかる」勉強会でした。
実感を伴った学びや、心から「あぁ〜!」「へぇ〜」と声を出した感動は、私の体に染み込んでいくものなのではないかと思います。
そうやって、たくさんのものを染み込ませていく内に、私の人間としての容量や引き出しが増え、観察眼を養っていけるのかな、と思います。
そして、一見全く違うジャンルのものでも繋がっているのかもしれないなあ、と思いました。
ありがとうございました。
                                           聖徳大学 S.K先生


<青井先生の話を聞いて>
痛みの原因は痛い箇所にあるとは限らない。首を治すと足の痛みが消える、と言う話を聞き、痛いところに一時的な処置を行っても、いずれまた痛みが出てくるのだとわかりました。
痛みの根源を突き止めること、それが適切な治療だと思いました。
教育も同じで、その場限りの対応ではなく、また同じことの繰り返しになる可能性がある。そうではなく、根本的な原因を突き止めることが大切であると感じました。
体のバランスが7いかに集中に関係しているのか、よくわかりました。少し歪んでいるだけで100%の力が出せなくなることが実感でき、驚きました。正しい姿勢がどのようなものかも学ぶことができ、子供への指導をすることも良い方に変わっていくであろうことも、楽しみになりました。
                                          多摩川小学校 K先生


本日は、貴重な時間を持つことができ、ありがとうございました。

「ミラーリング・ストレッチ」から始まり、人の体の不思議さや繋がっていること、また、1つのところが悪いとすべてに関わってきてしまうこと。など、多くのことを学ばせてもらい、視野を広げることができました。(様々な角度から見る)
「正しい姿勢」をする意義について教えてもらい、子供たちに対し、ただ声を掛けて改善していくだけでなく、「正しい姿勢」をする意義について、子供たちに伝えていこうと思います。
また、リラクゼーションストレッチを通し、相手をみる…、自分自身をみる…という機会にしていきたいと思い、取り入れていこうと思います。

また機械がありましたら、ぜひ参加させていただけたらと思います。
                                      日の出町立大久野小 K先生


今日は、大変納得のいく目から鱗の講座で、とても参考になりました。お誘いありがとうございました。
今回は助産婦として参加させてもらいましたが、青井先生の実習&講座は教官することが多く、身体は心に通じ共鳴し合うこと…、助産の現場でもとても役立つことを教えていただきました。

姿勢〜体幹、整え
局所だけでなく全体を診る
五感を使う 気を、エネルギーを感じる

人間が今、失いかけている重要なポイントを再認識できました。
私も助産師として、母と子のケアといいお産を目指し、日本を変えていきたいと思っております。

熱い思いで、共鳴していきましょう!!
                                              助産師 Y.Tさん


高校生の時に、体育の授業で首を痛めてしまったことがある。
それから、左半身の調子が悪かった。肉体だけでなく、左側の内臓の調子も悪く、2年前には左側だけ、リンパ節炎になった。Oリングテストをすると、左手だけひどく弱い。
人の体というのは、色々つながっていて不思議な物だと感じた。人の体というのは、今の科学だけではまだまだ説明できないことがたくさんあると感じる。
谷和樹先生が、発達障害が見かけ上治るとおっしゃっていた。
今回の青井先生の話は、谷先生の話に通じる何かがあると感じた。
実に興味深い話であった。
                                  調布市立多摩川小学校 Y.K先生


本日は素晴らしいお話をありがとうございました。

姿勢のお話について。
本当に、この「姿勢がずれていると、様々な部分に影響がでる」というお話は、その通りだと強く思いました。
12歳の息子がおりますが、自閉症と診断されており、あちこちに気持ちが散ってしまうタイプですが、確かに、いつも姿勢が悪いです。
ですが、本人の大好きなパソコンや電子機械のことになりますと、ピンとした姿勢で、集中力も高いです。
これからは姿勢についても気を付けていきたいと思いました。

「気」をあわせることについて。
呼吸をあわせていくと、気の流れがあってくる。というお話を伺い、今までの自分の経験が裏付けられたように感じました。
高校時代、合唱部に所属し、毎年、全国大会で受賞させていただいておりまして、卒業後も社会人の合唱団に所属しておりました。
この合唱での経験です。
合奏練習の前に必ず「ブレストレーニング」というものを行います。
皆で一緒に息を吸って吐くという練習ですが、この練習を行うと、グッと合唱がうまく合わせることができるようになります。
それこそ「息がぴったり」という言葉があてはまると感じました。

障害児の増加について。
実は、障害児だけではなく、慢性疾患のある子どもが非常に増えているのだそうです。
原因ははっきりしていないそうです。環境因子の悪化もあるとは思います。化学物質の増加もあると思います。
と、同時に言われているのは「初産年齢の高齢化」と、「障害児でも生まれてくることができる医療の進歩」というのもあるのではないかと、私は考えております。
20年前の初産年齢は20代前半でした。男性側も20代でした。
これが現在は、男性30代前半・女性28〜30歳です。
平均余命は伸びていますが、卵子や精子の数は変わることはできませんので、劣化が生じてしまっているのではないか、という医学説があるのもうなずけます。
実際、ダウン症の発症率は、40代以降の出産になると大幅に増えるそうです。
また医療の進歩も影響があるように感じます。
不妊治療や不育(受精はするが子宮内で育たない症状)の治療をはじめ、切迫流産や切迫早産に対する医療の進歩はかなり目覚ましく、政界有数の医療先進国になりました。また、未熟児の生存率は、ここ30年で劇的に進歩しました。
昔であれば、残念な結果になってしまった赤ちゃんも出産まではできるようになり、結果、障害児が増えているように見えてしまっているのではないか、と、私個人の意見としてではありますが、感じております。

最後に、お忙しい中、ご講演をありがとうございました。
ここでは書ききれないほど、たくさん考え、感じさせていただきました。
                                    調布市立多摩川小学校 N先生


今日は貴重なお話をたくさん聞くことができ、大変勉強になりました。ありがとうございました。
私は姿勢が悪いので、今回教えていただいた正しい姿勢を意識して生活していきたいと思いました。体で悪いところがあったときに、実は違うところに原因があるということも知ることができました。そのことは、教育の場でも通じる考え方であると感じました。また、体の硬い人が柔らかい人の隣で同じイメージをもってやってみた時、体が柔らかくなるのを見て、とても驚きました。
私が本気でぶつかっていけば、子供たちも応えてくれることを信じて、日々指導をしていきたいと思います。
                                          多摩川小学校 Y.I先生


本日はありがとうございました。
とても貴重なお話を伺うことができました。

中でも、「ミラーリング」に本当に驚きました。
自分自身の集中する部分は少し変えるだけで自分のキャパシティを超えることができたり、また、やろうと思えば何でもできるという事も実感することができました。
ありがとうございました。

10年前、クラスも全く異なる子供たちがあんなに集中してストレッチに取り組めたのは、気を一つに合わせることを(私の場合は無自覚に)行っていたんだなあと改めて気付くことができました。また、今後それを自分の持ち場でどのようにして活かしていくのか、しっかり考えていきたいと思います。

母子のストレッチ?子供によい影響を与えるような、母親が自分でできるストレッチは、自分でも勉強して、実践していきたいと思います。
人間関係も、自分の精神状態も体のことも全ては土台から。基を正しく治せば、また変わった見方ができるのだと確信しました。ありがとうございました。
                                             大学生 M.Sさん


普段は全く異なる世界で過ごしているはずなのに、青井先生からは、教員にも生かせる要素や姿勢をたくさん学ばせていただいた思いである。
「ミラーリング」からは、子供たちによいもの美しいもの優れたもの本物を見せ、真似ることで学ばせたいと思った。
「オーリング」から、子供たちの悩み苦しみを共に探究したり発見したりすることで、それを解決・改善するための方向性を検討できると感じた。
自分のために子供のために仲間のために、連休後に学校で話したい。

ありがとうございました。
                                             小平六小 K先生


ストレッチの終わり位に会場に着きました。
宇宙の中の空間のエネルギーを感じる様です。
と申しますのは、天体に関するTVの中の目に見えない真空エネルギー(?)又はダーリマタと言う禅な物の存在を信じられる事ができるのでは?
人間は古代の時代に有していた第六感とか五感を忘れているのでは?
身近に目に見えないものを少しでも身近に感じて大事にしていきたいですね!
本日もありがとうございました。
                                                    H.Tさん


とても学びの多い学習会でした。
自分の学級にはどうしても集中できない児童がいます。
障害が疑われていますが、私からの働きかけ、家族からの働きかけで良くなっていくのではないかと思っています。
体のバランス(心のバランス)というアプローチから子供の指導に生かしていきたいと思いました。
トップランナーの先生方のお話を聞くと、とてもやる気が湧き元気になります。
今日のお話からも、とても多くのエネルギーをいただきました。
                                           飛田給小学校 F先生


青井先生の身体に関する実演と実習、そして講義を受けて
世界が広がる
 受講者の振り返りの中に、「世界が広がる」ということが書かれてありました。また、「視野を広げることができた」と書いた人もいました。他の多くの方々も同じ思いだったのではないでしょうか。
 前回の上野先生の講義にも通じる新しい世界の出会いでもあります。それは、新しい世界を体験することで、初めて得られる境涯であり視界でもあります。
 日々の生活の中で、「自分自身の視野が狭くなりがち」と書いた方もいました。煩雑な勤務に忙殺される日常の中では、ややもすると視野狭窄に陥りがちなものです。そして、疲労していくと、考えることができなくなり、自己観察は難しくなります。クリヤーに状況を認識することが困難になっていき、盲目的に目の前の対処に追われることで精一杯になっていきます。うまく事は回らなくなり、徐々に事態は悪化していくという羽目になりがちです。
 それだけに、「自分自身の視野が狭くなりがち」という自己観察は、とても重要だと思います。そして、その自己観察を持てる内に、そこから抜け出す努力をすることだと思います。
「視野が広くなる」体験をすることで、視野が狭くなっていたということを、本当に実感できるものです。それでようやく、そこから抜け出せる。そうなることで、視野はさらに広がっていく。そういうことだと思います。
 その人は振り返りの終わりに、
「道場に来ていつも感じることは、講義が終わる頃の心地よさと充実感です。」
と書いてありました。私にも同じような経験があります。かつて、和道流空手の本部道場に通った日々がありました。勤務に疲れ、道場に行きたくないと思う日々があります。道場に到着し、仕方なく稽古を始めます。途中で、「用事があると言って早退しようか」などと、かどわかしの言葉が頭をよぎります。幸い、それを口にすることはありませんでしたが、稽古が終わり後悔したことは一度もありません。「来て良かった」という「心地よさと充実感」を、私も味わったものです。

目に見えないものを大切にする
 何人かの人が書いていましたが、私もこれを思い出しました。私達は、やはり日常の中で、目に見えないものの大切さを忘れかけているかもしれません。このような考えを、口にすることが少なくなっているように思います。サンテグ・ジュペリの「星の王子様」も思い出します。
「大切なものは目に見えないんだよ。」
大事なものは、目に見えなくとも、常に一緒にあると思います。空気のように…。

 「東洋医学」において重要な概念に、『気』があります。東洋医学では、「気」は自然界にある「エネルギー」である、生き物の体の中にも流れているものだと捉えます。この「気」が正常に体を流れている状態を「元気」と言います。「気」がうまく流れず、滞っている状態を「病気」と言います。この「気」も目に見えません。
 私は、子供の指導に「気」を用います。
 私は、授業で「話は目で聞く」を指導します。そして、目から一番「気」が出ると話します。「気」は「水」のようなもので、流れているときは新鮮で生き生きしている。しかし、流れずに滞ると腐っていく。先生がみんなに話す時、先生の目から「気」が出ている。
その時にみんなが「目」を向けて聞くと先生の「気」は「目」に入り、みんなの中をぐるりと回りみんなの目を通して、再び私の目に入り私の体の中をぐるりと回る。こうして、気はぐるぐる回ることで新鮮になる。しかし、みんなが目を向けていなければ…。
私の「気」は受け手がおらず、滞る。腐っていく。疲れていく。このように話し、「目で聞く」指導に用います。

構成の巧みさ & 驚くべき変容
 青井先生の自習や講義は、何気なく自然に進行しながら、実はよく考えられた構成であります。青井先生は、初対面の受講者を前に自己紹介を始めます。私との出会い、そして、私の「腰椎すべり症」「後縦靭帯骨化症」による2月当時の激痛の状態等について話されながら、みんなとの心理的距離を縮めていきます。それから、ペアーになっての「ミラーリング・ストレッチ」に移りました。ペアーになった人同士で、談笑しながらストレッチを行います。一方の人が行う動作を真似して、体と心がほぐれていきます。その後に青井先生は、次のステージを用意していたのでした。

 「体の柔らかい人、手を挙げてください。」
  高田さんが前に出てきました。
 「体のかたい人、手を挙げてください。」
  斎藤さんが前に出てきました。

まず、高田さんが前屈を行いました。確かに柔らかく、易々と両手は床に着きました。次に、斎藤さんが前屈を行いました。本人の申告通り、確かにかたい。両手の指先は、床から遠く離れていました。ここで、青井先生がお話をしました。次のような意味の話でした。
 先ほど行ったミラーリング・ストレッチのように、斎藤さんは高田さんの横で高田さんと同じようにミラーリング・ストレッチを行う。高田さんとつながったように感じながら高田さんと一緒にストレッチを行う。
 そのようなことを指示しながら、今度は二人一緒にゆっくりとストレッチングを行いました。すると、何と!かたかった斎藤さんの、両手の指がすーっと床に着いたのでした。
それを目の当たりにした受講者から、「おー!」「えー!」という感嘆の声が上がりました。長年かたいかたいと思っていたのですから…。まさに、実際にやってみて実感する研修でした。

「痛み」のメカニズム
この事に関して、会の終わりに上野先生が解説してくださいました。
「人は痛みに注目する。するとますます痛みを自覚する」
つまり、「自分の身体はかたい」と確信している人にとっては、前屈動作は「痛み」を引き起こすという確信がある。これまでの数多くの実際(体験という実験)の結果の蓄積は、「痛み」であったわけです。その動作を行う度に、その痛みという結果が繰り返し証明され、確信は強化されてきたわけです。ところが、それにもかかわらず、この時にはなぜ、痛みが起こらなかったのか?
それは、この時、斎藤さんは「痛み」の事を忘れていたからです。なぜならば、彼女の注意のほとんど全てがミラーリング・ストレッチに向かっていたのです。だから、「痛み」が起こらなかったのです。
 つまり、これまでは、痛みに注目する長年の習慣故に、自分の意識は痛みを誘発したともいえるわけです。「痛くなるぞ…痛くなる…」、「あっ、痛みが来た」、「あっ、やっぱり痛い!!」といった具合に、希望通りに(?)「痛み」を引き起こしていたのかもしれません。そして、痛みが強く自覚されたところで前屈は止まる。実は、「行動前の行動決定の心理」とでも言うべきメカニズムがあったわけです。
 これに関連することとして、「伸展反射」があります。私が子供の頃の柔軟体操は、二人組になり(ミラーリング・ストレッチではなく)、一人が長座して座りもう一人がその子の後ろに立ち、「1、2の3!」とばかりに、力を入れて背中を押すわけです。押される側は力を入れられるのを嫌がり、倒されまいとして、むしろ抵抗すべく体をかたくするのです。実のところ、筋肉は「緩む」ことで、「伸展する」のです。つまり、必要なことは「脱力」です。「痛みへの強い意識」は「体を強張らせる」ことになり、筋肉を緩めることと全く逆の作用を引き起こしているわけです。
 体育の授業で柔軟性を高めるための運動としてのストレッチの指導では、私は、自分の身体を外側から見つめることを訓練させます。難しい技法なのですが、「痛み」に「心」が巻き込まれないようにする「自己観察」の技法でもあります。痛いのは自分の身体。自分ではない。身体から自分が抜け出すかの如く、外側から自分の身体の筋肉の強張っているところを感じる。そこは、緊張し張り詰めている。そこに意識を持っていき、「大丈夫だよ…大丈夫だよ、力を抜いて…」と筋肉に優しく心でささやく。すると、「ふっ…」と力が抜ける。その時、筋肉は緩み、体はすっと伸びる。

心と体を一体としてとらえ
 これは、「小学校・中学校体育の目標」の冒頭に述べられている言葉です。
 「心と体を一体としてとらえる」という体育科の冒頭の文言は、上記のような事実に出くわすと、なるほど確かに「心と体はつながっている」と実感できるものです。
 学校体育に、「心と体を一体としてとらえる」という概念が初めて入ってきたのは、前回の学習指導要領の改訂時でした。この頃、私は目黒区の体育部に所属していたのですが、体育部のメンバーは初めて出会ったこの文言に相当戸惑っていました。一方、心身医学や気候に関心をもっていた私は、「よくぞこのような考え方が学校現場に入ってきたものだ。」と快哉を叫びました。体育も、かつての医学と同様に「体」に比重が置かれているのが現状でした。西洋医学は「体」を研究対象とし発展してきました。西洋医学が「心と体の結びつき」注目していくのは、日本においては、ここ半世紀位のことではないでしょうか。日本では、九州大学医学部教授の池見先生がその草分け的存在で、そのような方の先駆的研究の結果、「心と体はつながっている」「心と体を一体としてとらえる」という考え方が徐々に知られるようになったのだと思います。

受講生の意識の高さ
 青井先生のリクエストにより、受講生に一人一人感想や意見、質問を言ってもらいました。様々な視点から出された説得力のある発言に、大変感心しました。
 勉強会の終わりに、参加者のみなさんに振り返りの時間を設けているのには、その日の研修を記憶鮮明な内に文章に記しながら、研修の内容を咀嚼反芻し自己の栄養として欲しいと考えているからです。そして、みなさんの振り返りをコピーさせて頂き、提出された方全員の文を打ち直し、時に私のコメントを加えながら、「勉強会のまとめ」を制作しているのは、勉強会のメンバーでそれを読み合い、多くの人の優れたものの見方に触れ、互いに見識を深め合って欲しいと願うからです。まとめるのに少し時間がかかりますので、後日配布となりますが、そのような意図を汲んで、どうぞ多くの人の文章から学び合ってください。そうして頂ければ、主催者としては大変嬉しく思いますし、まとめる甲斐があるというものです。どうぞ、ご活用願います。

本質に置いて、教育も医療も通底する
 勉強会では常々、明日の授業にすぐに役立つものだけを学ぶ必要はないと話しています。それは、教育は全てに通じ全ては教育に通じると考えているからです。
 受講者の振り返りの中にも、本来別物である「教育と医療」のシンクロニシティーを感じられたものが多くありました。

新しい知識を得る楽しさ
「この時間がもっと続いてくれたらと思うような楽しい時間でした。子ども達にも、これくらい好奇心をかき立てる授業をしてあげたいと感じました。」
研修において、このように感じることができるためには、2つの条件が必要に思えます。
一つ。研修の内容が意味深く価値があること。
一つ。研修者が探究心に溢れていること。
 私は、とりわけ後者が重要だと思っています。いかに優れた内容をもってしても、受講者に学ぶ意欲が乏しければ、なかなか上記のような思いには至りません。授業にすぐ使えそうなアイテムだけを探すような姿勢では、本質的であってもすぐには使えそうもない内容だと、俄然興味を失うものです。私は、そのような姿勢は警戒すべきだと考えています。
そこには、ある種の気忙しさを感じるからです。不安や落ち着きのなさ、焦りのような心情から起こる行動は、本質を掴むより手軽さを求めるものです。すなわち、本質の理解から遠のくからです。成長とは、「急がば回れ」と知るべしです。  授業をしても、子供たちの好奇心が薄れているように感じてなりません。これは、子供たちの学習規律が崩れていることとも決して無関係ではないと思います。子供たちの「学びに対する興味・感心」が薄れている。それが率直な印象です。「感動」が無くなってきている。例えば、理科の授業で「磁石」の勉強をする。昭和50年代60年代の時代の授業では、不思議な現象を目の当たりにすると、「エーッ!」「オーッ!」といった歓声が上がりました。今は、同じ現象に出くわしても、そのような感動で納得いくものではないと感じています。これは、「素直な心」とも関係していないでしょうか。

反応を無くす子供たち
 2年前に、某市の算数少人数の研究発表を見に行きました。研究発表の中身はたいそう立派なものでしたが、たくさんある教科の中の一教科である算数科一つに関しても、提案された業務を行うと学校を出るのはいったい何時になるのだろうか?と不安になるような業務量でした。そして、算数だけでなく、他の教科の準備やその他諸々の仕事を行うとなると…。一方授業を観察して、驚いたことは、「子どもが反応していない」ということでした。教師が問いかける。子どもは何も応えない。沈黙している。教師はそれを織り込み済みのようで、一人で問の答えを話す。一緒に授業を見た同僚も同じように感じていましたが、私には仰天の状況でした。そして、怖くなりました。これでいいのか?!
しかし、こういう授業が進行しているのだと思います。私のように、「マネキンか!」などと叱咤する教師は、ほとんど見かけないのだろうと思います。
 しかし、「反応」「対応」は違う。ということを、かつてある本の中で学びました。
 「反応」とは、先の授業です。機械的に教師と子どもがやり取りする。あたかもプログラミングされたシナリオ通りに、織り込み済みに互いに「反応」を繰り返す。しかも、子供たちの学習状態は「無反応という反応」で、それは、「考えない人間」を作る工程だと思います。「感動」を無くす工程でもあるでしょう。
 「対応」とは、現象を敏感に感じ取り、それに見合った行動で相手に対する。問題があれば、それを解決するための行動を取る。そのためには、教師は常に「目覚めて」物事を観察し、子供の態度や心情を感じ取り、それに見合った行動で相手に対する。そうしない限り、機械のような子供の心は変わらない。感受性が低下し、疑似睡眠のような心の状態を変えるためには、少なくともこちらは、目を覚ましていること。それは、勉強会に参加し、「この時間がもっと続いてくれたらと思うような楽しい時間でした。」と感じられるほどに、鋭敏で感受性豊かであることだと思います。『「自分がその気になることが原点」という言葉に、心の底から力がみなぎってくるような思いでいます。』という感想がありましたが、子供を変えるということは、自分自身がその変えるべき姿の実践者でいることではないでしょうか。何回か前の勉強会でも、何人かの参加者が書いてあった「自分自身を変える」ということにも通じると思います。

共鳴の重要性・有効性
 「共鳴して何かを行うことでパフォーマンスが上がる」という意見がありました。ミラーリング・ストレッチの後のパフォーマンスです。これは注目すべき現象でした。
 私は初めて勉強会に参加する人がいると、繰り返し、「共鳴」について話をしてきました。理科の実験としてもとてもおもしろい内容ですが、詳しい内容は巻末に載せることとして、いかに概要を記します。

2つの共鳴箱AとBを互いに向い合せて置き、Aの共鳴箱の音叉を叩きます。すると、音叉を叩いていない方のBの共鳴箱からも音が鳴るのです。この現象を「共鳴」と言います。ただし、共鳴が起こるためにはある条件があります。それは、2つの共鳴箱の振動数が同じであるということです。だから、この勉強会に参加する者は振動数を同じくしている者同士であるということです。
 私の郷里日向の歌人に、若山牧水がおります。牧水に以下の短歌があります。
「今日もまた 心の鐘を打ち鳴らし 打ち鳴らしつつ あこがれていく」
 日向中学校に向かう坂道(希望の坂道と名付けられていた)を登り切った校門の脇に、この歌碑が建ててありました。自分の鐘の振動数は、どのような振動数であるだろうか?改めて問うてみたく思いますが、素敵な振動数で鳴り響いていきたいものです。勉強会に参加する人々の心の鐘が素敵な振動数で鳴り響き、共鳴し合い強め合っていくことを心より願っているのです。

同調作用
 青井先生が後日ミラーリング・ストレッチの後のパフォーマンスについて話してくれました。「同調作用」によって起こる効果であることを説明してくれました。『同調』とは、辞書には「ある周波数を選ぶこと」「受信機である周波数を合わせること」と書いてあります。まさに、同じ周波数で『共鳴』したわけです。
 では、どの振動数に合わせたのか?
 それは、体の柔らかい人の振動数に体のかたい人の周波数(振動数)を合わせていくのです。つまり、「自分はかたい」と思うマイナスのイメージ(マイナス振動数)ではなく、「私も同じように柔らかい」と思うプラスのイメージ(プラス振動数)に自然に合わせていったのです。
 『「自分がその気になることが原点」という言葉に、心の底からみなぎってくるような思いでいます。』という感想も、私の発した振動数に合わせ、熱く同調したからこその力のみなぎりだったのだと思います。
 また感想の中に、「授業や教育活動に生かせる」とあるのは、当を得ている指摘です。
学級の中には、良い周波数と悪い周波数が混在しています。悪い周波数がクラスを覆っていくと、クラスの雰囲気はどんどん悪くなっていきます。良い周波数がクラスに増えていけば、クラスの雰囲気はどんどん良くなっていくのです。クラスの子供たちが悪い周波数に合わせていくのではなく、良い周波数に合わせていくように指導していくことが学級経営の重要な要諦だと考えます。

痛みの原因はどこに?
「体で悪いところがあった時に、実は違うところに原因があるということも知ることができました。」
「痛みの原因は痛いところにあるとは限らない。首を治すと足の痛みが消える、という話を聞き…」
体の不思議さを考えさせられます。20万回を超える臨床経験を持ち、また、今なお医療に関する研鑽を積み重ねておられる青井先生のお話や自習には、説得力がありました。
 我々は、どうしても目立つことにばかり目が行きがちです。しかし、目立つことにばかり捕らわれすぎると、判断を誤ることもあるます。
「教育の場でも通じる考え方であると感じました。」
「教育も同じで、その場限りの対応ではなく…」
と、青井先生の臨床知見に教育との共通点を感じた人は、他にもいると思います。人間の体は不思議なもので、まだまだ現代の最先端の医療科学をもってしてもまだまだ解明されていないことはたくさんあると聞きます。東洋医学のような臨床医学は、結果(治癒)を重んじます。つまり、なぜ治るか理由は定かでないが、「ここをこう治療すると症状が良くなる」といった臨床(実験)の積み重ねをもとに治療を行い快癒に導く、といった具合です。青井先生は、東洋医学に長けているのはもちろんですが、西洋医学の知見にも相当に通じていると思ったことがありました。1例を紹介すると、私がアメリカで車を運転中に後ろから追突されるという事故に遭い、地元の総合病院で整形外科を受診した時のことです。MRIの検査も受けたのですが、それとは別に、医師が私の体を直接に診察した際のやり方は、日本で青井先生が私の体の検査をする際に行っていた手法ととてもよく似たものでした。つまり、青井先生は東洋医学の知見と西洋医学の知見とを合わせもつことで、診断の精度を上げ、治療効果を高めているのだと理解しました。
 かつて、青井先生が私に話したことでとても印象に残っていることがあります。それは、「対処療法ではなく根本療法が大事だというが、患者は今抱えている痛みを何とかしてほしいといった話でした。「目から鱗」でした。そりゃあ、誰しも根本療法がいいと言うが、そのような概念ばかりが先行し過ぎ、実は患者の主訴に向き合っていない態度であったと反省させられたのでした。そして、今回の研修を終え、改めて思うことは、「痛みの根本的な理解無くしては、痛みは無くならない」ということです。その意味においては、当時青井先生が言われた「対処療法」は時折批判的な意味で使われる言葉とは、内実を異にするものだと理解します。「痛みの原因は、痛みがある部位にある」といった理解は、間違っている場合もある。その場合には、その部位をいくら治療しても痛みは無くならない。
「痛みや体」に関するより深く本質的な知見や考え方があって初めて、問題改善ができるのだと痛感します。
 このことは、「教育」の在り方においても、深く考えさせられることです。
 「教育は、10年先20年先を考えて」と言われます。その言葉は、教育の大切な考え方を表明しています。が、一方、10年先20年先ばかりを論ずるわけにもいきません。
目の前にある様々な問題(痛み)に対処しなければなりません。今、目の前にある問題(痛み)を解決せずにいることは、この痛みをよりいっそう大きくしていくはずです。すなわち、10年先20年先は無くなるのです。教育現場にある「痛み」を取り除き、正常にしていくためには、この痛みがいったいどこから来ているのか、正しく見抜く力が必要です。
痛みの原因が目の前の現象にあるのではなく、別のところにあるのかもしれません。それを見定める『眼』を、教育現場も鍛えていかなければなりません。
「トップランナーの先生方のお話を聞くと、とてもやる気が湧き元気になります。」
そう思います。トップランナーが仕事の中で培ったものの見方・考え方は深く、そして、高所から俯瞰し見抜く『眼』でもあります。こうしたトップランナーの生身に接することで、自分の心の鐘に共鳴する本物の「振動数」が生まれるのだと思います。

「今日もまた 心の鐘を打ち鳴らし 打ち鳴らしつつ あこがれていく」
終わりに
 他にも、ここに書ききれなかったたくさんの貴重なお話を頂いたり、貴重な体験をさせていただきました。特に、「姿勢の重要性」は、重要な示唆に溢れ、受講者に大きなインパクトを与えて頂いたと思います。

 今回も、上野先生同様に、青井先生にはお忙しいスケジュールの中から、都合を工面し、私達の勉強会のためにお越し頂きました。また、一切講師料もお払いせず、交通費すらお渡しもせず、全くのボランティアでご講義くださいました。勉強会に参加したメンバーは、これに深く感謝する心を決して忘れないで欲しいと思います。この紙面にて、青井先生のご指導に深く感謝申し上げます。心よりありがとうございました。


私が『共鳴』という現象に初めてであったのは、確か中学の理科の授業だったと思います。
それは、以下のような実験でした。

 <共鳴箱の実験>

1 A共鳴箱の音叉を打つ ⇒ 音が出る ⇒ 音叉を手で握る ⇒ 音は止む
2 A、B2つの共鳴箱を互いに向かい合わせて置き、Aの共鳴箱の音叉を打つ                                          ⇒ 音が出る ⇒ Aの音叉を手で握る ⇒ 音は?
3 「音は止む」と予想していたが〜 結果は? ⇒ 音は出たまま

予想に反して なり続ける共鳴箱に…我々中学生は!

                 

みんな一斉に、「エー!」と感嘆の声!声!

どうして音は鳴り続けるのか?
<共鳴箱の音叉を手で握ってもなぜ、音は鳴り続けるのか?>
これに答えるために、実験@に戻って考えます。
「なぜ、音が出るか?」
『 音叉を叩く ⇒ 音叉が振動する ⇒ 音叉の振動が共鳴箱に伝わる ⇒
    ⇒ 共鳴箱が振動する ⇒ 共鳴箱の振動で空気が振動 = これが「音」 』
  (ギターはこの現象を利用している :ギターのボディーは共鳴箱、弦は音叉)

このような仕組みで音が出ているわけです。


                                     調布市立多摩川小学校 黒木先生

 
 
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